September 08, 2006

山車どんど 続き

山車(やま)どんど初日の8月6日。当日は朝から仲町(なかまち)町内会の面々が総出。こちらは札幌出張の途中立ち寄りではあったが、夕方までに山車を仕上げなくてはならないので休む間もなく大忙し。鎧の武将人形、弓矢、波、波しぶき・・を舞台上に飾り、発電機と照明を据え付け、周囲を紅白の幕で覆い、アラは椿の枝を打ちつけて目隠しする。子供のころからやっているので段取りは体が覚えており、町内も面々ともチームワークもバッチリ。ただし、ちょっとでもヘマをすると辛口のコメント「東京でパソコンで、変なサイトばかり見てるから、クギをこぼすんだ!」、拡声器のテストで折角だからと笛を吹くとアンプのヒューズが飛んで「東京者は加減もしゃげんも無い」、「来年も来て笛の修行しろ」・・・歓迎されているのやら何やら。

昨年同様、前ヤマはT氏のご担当。題して「静御前の舞」。何と人形がモーターで回転し、舞台上で優雅に舞う様を再現。静御前は衣装も本格的。静御前の麗顔はピンクで美しく、凛々しく、扇も全開で、夜はさぞかし見栄えが良いであろうという完成度の高さ。

午前中で飾りつけは一段落して、午後は空き時間となった。この時を幸いに、小二の姪と、遠縁の小一の女の子に篠笛を伝授。どちらも小学校低学年なので、吹いて音が出せるところまでが限度。指使いは、将来手が大きくなって穴に届くようになってからの事と割り切って、ヒューヒューと簡単なリズムを太鼓に合わせて吹かせる。二人ともすぐに音が出るようになり、ヒューヒューのみながら、リズムもそれなりに仕上がり、私に似て筋が良いとしばし悦に入った。余分な篠笛は2本しかないので急遽100円ショップで吹けば鳴る竹の縦笛とホイッスルを5人分買い、子供らに渡し太鼓に合わせて吹くように言い含めた。まずは笛の面白さを刷り込んでおき、将来一人でも後継者が育つであろうというねらい。着手手近、構想遠大。

暗くなって「やまどんど」がスタート。普段は寂しい通りにもひしめき集まった見物客。静御前の舞いにどよめき、これぞハレの日。花火に合わせて子供らの手拍子、かけごえは芯から楽しそう。自分もかつてはこんな純粋・無垢な表情をして手をたたいて、「やまどんど、それ!」と声を出していたのかと、過去の自分を発見。数十年のタイムリープだ。今の自分はどんな表情なんだろう?この歳になっても笛を吹いて、相当ハイにはなっているが、さすがに子供らほどの無垢な表情ではあるまい、と分別くさい事を思ったりした。じゃあ他の大人はどんな顔かなと、あたりを見回すと、困った事に30代~70代のいい大人が一人残らず、子供時代に返った表情。

この祭りは永久に続きそうだ。

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August 17, 2006

山車どんど

出張の合間を縫ってり数日実家(秋田県男鹿市脇本)に帰省した。ちょうど実家の夏祭り「山車(ヤマ)どんど」の時期だったので、予め篠笛=しのぶえ、を実家に送っておいた。今自分が持っているものと同じキーの七本拍子を2本購入し、あわよくば笛吹きの後継者を育成せんという企てだったのであります。

脇本山車どんど保存会作成のパンフレットによると、

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男鹿市無形民族文化財

--山車どんど--
山車どんどは脇本城跡とともに脇本本郷にとって大切なものです。八月六、七日の晩、子供たちが作った車山が太鼓や笛とともに、にぎやかに町内を練り歩きます。ご祝儀をもらうとお礼に口上を述べ、花火をあげます。脇本本郷地区で行われている七夕行事を、こどもたちは車山どんどと呼び、この日を楽しみにしています。 

※勝手な注釈① 以前は太鼓に加えて200リットルのドラム缶も叩いている町内があったが、あまりに騒々しいからか、現在では太鼓のみです。また笛無し町内が半数で鳴り物が無いのはややさびしい山車です。無形文化財になってからは、小学校で笛の授業があり、一部生徒には笛が渡され、そこそこに吹ける人間はいるらしい。残念ながら山車ドンドを行う本郷地区の町内にその吹ける子供が居るとは限らず、ミスマッチ状態となっている。小さい頃からの馴染みが無い他の町内に、いきなり行って笛を吹くのは抵抗があるのでしょう。それでも中学生の女子4~5名で後ろ山車に乗り、息を合わせて吹いている町内もあり、一定の教育効果はありです。ただし太鼓の音量は相当なもので、少々の音では笛の音は雲散霧消、どっかに行ってしまいます。笛の奏者は自分の演奏が聞こえているのかどうか確信と自信が持てず、なかなか気の毒な存在です。1オクターブ高い♪ピヒャー♪というレベルで吹いてやっと周囲に聞こえているかなという状態。この音域は音程が不安定で、曲として成立させるためには、肺活量で押さえ込む荒業が必要。加えて延々と吹き続ける必要がある事から、肺も楽器の一部と解釈して、成人男性の仕事ではと思うのです。

--起源--
山車どんどは200年位前から続いていると言われていますが、いつごろからまたどのようにして始まったのか、はっきりしたことはわかっていません。明治期に青森のねぶたや、能代の七夕を真似たとか、北前船との関連や中世脇本城があった時代からなどとの伝承があります。大正七、八年ごろに書かれた「郷土誌資料・第二号」(脇本尋常小学校編)の七月六日の行事の項に、「七夕」とあり「子供等竹をとりて晩に小灯篭を付けて天の川を祭る。各町内には競えて山車をこしらえ一番よきを一等となし」の記載があります。古くは、旧暦の七月六日に行われていた事がわかります。脇本本郷ではこの日は特別な日で、早朝の墓掃除、井戸さらいを行います。また七日には7回水浴びをし、小豆まま(ごはん)を食べる習慣がありました。そして山車どんどが終わると首(頭部)だけを取り外し、人形を海に流したそうです。山車どんどはネブ流しともいわれ、お盆と水に関係がありそうです。

※勝手な注釈② 人形は芯のハリガネに藁束を巻きつけ衣装を着せ、鎧を装着してあります。頭部は木製で武者仕様にメーク済み。頭部の製作は大変で、流すのは勿体無かったことでしょう。鎧の製作もかなりの作業です。現在でも相当年数使い回しており、大正当時も鎧を脱がせて、藁人形状態に戻してから海に流したのではと推測されます。また今回色々と聞いてみたが、第二次大戦中の数年は山車どんどは行われなかった由。明治維新前後・日清・日露戦争時に中止したのかは、証言者なしに付き不明。またお祭りなので、葬儀のあった家はご祝儀は出すが、お礼の口上と花火はお断わりする。ちなみに同じ男鹿市の全域で大晦日に行われる奇祭「ナマハゲ」もその年に仏様のあった家はナマハゲ乱入の儀は、丁重にお断りします。


--曳き山車--
各町内では競って曳き山車をつくります。作るのは子供たちが中心でしたが、子供の少ない町内では大人たちも手伝っております。本郷の町内が単独または合同で製作し、武者人形が主ですが、以前は後山車はひと工夫した出し物を飾り付けました。また本郷の出身者は、この行事に、こどもを連れて帰省する人も大勢います。

--主役と曳き子--
あくまでも主役はこどもです。前山車や後山車に乗って口上を述べるのは中学の最上級生です。山車を曳くのは幼児から小・中学生のこどもたちです。こどもたちは早く最上級生になって、山車に乗りたいと思っています。

--口上と花火--
山車が町内を練り歩くと家々からご祝儀が上がります。その時お礼の口上を述べます「東西、東西、花(ご祝儀)の御礼を申し上げます。一ツ金○○円也、○○円也、右は○○様方より、山車の御花としてご祝儀にあずかり、ありがたく、ありがたく、頂戴つかまつりまーす。」
そして、花火が振り回されます。この口上と、花火は山車どんどの特徴です。昔は申し上げますを、申し上げ候と言ったそうです。

パンフレットは了
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